最新のトラックバック
カテゴリ
以前の記事
2018年 01月 2017年 12月 2013年 11月 2012年 06月 2012年 05月 2011年 11月 2011年 06月 2010年 12月 2010年 08月 2010年 05月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 リンク
フォロー中のブログ
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
まず、穏やかな日々がある。穏やかと言っても問題はないだろう。このところの東京の天気といったら寒いながらにも晴天が続いているんだから。穏やかな日、そしてその昼下がり、女性の局部に墨を入れながら思う。女性の局部について思いめぐらすわけでなく、思うことは私のルーツ。例えばあの小説、例えばあの音楽、例えばあの映画、例えばこの女性の局部。女性の局部はやはり私のルーツには関係なく、関係ないけれどうっとうしくまとわりついる。けれど決定的に私のルーツのいえるものは、芸術にあるのではなく局部にあるわけではなく、私の育った環境にあると思う。正月に実家へ帰省して誇るべき田舎さをあらためて確認し、私は誇らしく思う。一面には枯れ草色の田圃が北の方から吹く風の中、あるべくしてあり、女性の局部に墨が載っているような、法的完遂性まで感じさせる。ルーツだ。この局部的な風景こそ私のルーツに違いない。けれどこの風景はけっして女性の局部とは関係ない。都市でも郊外でもなく、その二項対立からまったく相手にされていない、穏やかな日の素晴らしい昼下がりに戻るならば、女性の局部といってもそれが本当は少女の局部でありそこに関わらなければならないはずの法的規制が、少女の記号性によって、言葉の簡単なお遊びによって、まるで相手にされないように、誰からも語られない場所。私は思わず頓服用の抗不安剤を水なしで飲み込んだ。喉に異物感を憶えながらも私は女性の、しかも少女の局部のことはまるで意識することはなく、ルーツであるこの語られることのない土地を呆然と眺めながら、母に家へ入るよう促されるまで立ちつくしていた。立ちつくしている男性の局部は、やはりその記号性と家父長的理想から、男性の局部ではなく男根に間違いないのだが、いや、けれどこれは私のルーツには関係がない。私のルーツは語られることはなく、少女の局部も男根も語られるが、語られない私のルーツについて私はここに記さなければならないという、あらゆる誰かにとっても興味がないこの決意を私は持っているわけだけど、そこにはあらゆる誰かにとって興味がある少女の局部と男根の物語はまるで関係がない。つまり、少女の局部も男根も私のルーツには関係なく、かつ、私の日常には少女の局部と男根とが水と油が決して混じり合わないように混じり合わないわけではなく、棒磁石にくっついた砂鉄のようにこちらに不愉快さを与えるくらいに蜜月の仲にある。 久しぶりの実家である。母に家へ入るように促される。そう、ループだ。思うことは私のループ。見慣れた玄関を抜けると私は寒風に頬を打たれる。一面には枯れ草色の田圃が北の方から吹く風の中、あるべくしてあり、私は玄関に入ったつもりで出ていた。立ちつくしていた私は、立ちつくしている男性の局部は、やはりその記号性と家父長的理想から、男性の局部ではなく男根に間違いないのだが、いや、けれどこれは私のループには関係がある。母が私に家へ入るように促す。立ちつくしている男根は私の実家へと入ることはないが、それはそれでまた別の処へと入り、私は玄関に向かい、見慣れた玄関を抜けると私は寒風に頬を打たれる。一面には枯れ草色の田圃が北の方から吹く風の中、あるべくしてあり、私は玄関に入ったつもりで出ていた。立ちつくしていた男性の局部は、立ちつくしている私は、やはりその記号性と家父長的理想から、男性の局部ではなく男根に間違いないのだが、いや、けれどこれは男根のループには関係がある、というループ。母が私に家へ入るように促す。立ちつくしている私は私の実家へと入ることはないが、それはそれでまた別の処へと入り、男根は玄関に向かい、見慣れた玄関を抜けると男根は寒風に頬を打たれる。ループ。出たり入ったり出たり入ったり出たり入ったり出たり入ったり出たり入ったり示威示威示威恣意。出す、ループの終わり。立ちつくした男根は少女の局部へと向かい、ループ。そういうルール。いや、これはネーム。 まず、穏やかな日々がある。穏やかと言っても問題はないだろう。このところの東京の天気といったら寒いながらにも晴天が続いているんだから。穏やかな日、そしてその昼下がり、私はぺんてるの赤ペンを持ち読み込む。顔は知っているけれど名前が出てこない人のような男根のいくつかが、少女性/処女性を、家父長制へと取り込む、そんなネーム。示威するところの男根の、少女への要求が描かれたネーム。に対する私のぺんてるの赤のラインは記号を思わせる直線と孤を描き、見ようによってはそれは、局、という日本語の漢字に酷似した形と、部、という日本語の漢字に酷似した形と、は、という日本語の平仮名に酷似した形と、出、という日本語の漢字に酷似した形と、来、という日本語の漢字に酷似した形と、る、という日本語の平仮名に酷似した形と、だ、という日本語の漢字に酷似した形と、け、という日本語の漢字に酷似した形と、リ、という日本語の片仮名に酷似した形と、ア、という日本語の片仮名に酷似した形と、ル、という日本語の片仮名に酷似した形と、に、という日本語の平仮名に酷似した形と、!、というラテン語を起源に持つ数学においては階乗を意味する感嘆符に酷似した形が見受けられる。私の日々。穏やかと言っても問題はないだろう。 post by dhmo
by critique_gips
| 2009-01-28 22:05
| 大体アラザルが毎日批評
|
ファン申請 |
||