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![]() ★ジュンク堂大阪本店(堂島アバンザ)さま 3階人文コーナーにて、最新巻『アラザル vol.7』を販売いたしております(2012年5月現在) ⇒アラザルvol.7のコンテンツに関しては、コチラをご覧ください!!
『アラザル vol.7』の「鈴木治行インタビュー モダニズムの問題系が奏でる音楽」のなかで、文の脱落等がございました。 鈴木氏と、読者の皆さまにお詫びするとともに、正誤表を公開いたします。 なお、文学フリマでの発売時と、今後の発売におきましても、本誌に正誤表を挟み込んでおりますので、『アラザル vol.7』をお持ちの方は、内容は以下と同一ですので、そちらもご確認ください。 ---------------------- ・162ページ下段1行目 (誤) うしてフランス文学科を選んだのですか? → (正) どうしてフランス文学科を選んだのですか? ・186ページ下段3行目 (誤) 《陥没|分岐》 → (正) 《陥没-分岐》 ・198ページ下段14行目 (誤) 《浸透|浮遊》 → (正) 《浸透-浮遊》 ・210ページ上段1行目 (誤) ら音楽が発想されていない。 → (正)クルト・ヴァイルが好きなのは、ジャンル意識から音楽が作られていない、ということが一つある。クラシック音楽として作る、とか、現代音楽として作るとかいうような「枠」から音楽が発想されていない。 ---------------------- ![]() 通知が遅くなりまして申し訳ありません。 先日、第十四回文学フリマにおいて先行発売された『アラザルvol.7』ですが、一部書店等でも取り扱いを開始いたしました!!!! 取り扱い店舗につきましては、当ブログ及びツイッターなどで順次お伝えしていきますので、よろしければご覧くださいませ。 vol.7は厚さ21ミリの500円!!! かつての、vol.2やvol.3のような分厚い四六判路線に戻って参りました。 先行発売分につきましては、ツイッターやブログなどでも言及してくださる方も多く、大変ありがたい限りです。 というわけで、以下、コンテンツをご紹介いたします! ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆ interviews: ■鈴木治行インタビュ モダニズムの問題系が奏でる音楽(聴き手:西田博至) ■パブリック娘。インタビュー(学生編)〜アラザルmix〜(聴き手:安東三) ※『アラザル vol.7』の「鈴木治行インタビュー モダニズムの問題系が奏でる音楽」のなかで、文の脱落等がございました。鈴木氏と、読者の皆さまにお詫びするとともに、正誤表を公開いたします。→コチラ なお、文学フリマでの発売時と、今後の発売におきましても、本誌に正誤表を挟み込んでおりますので、『アラザル vol.7』をお持ちの方は、内容は同一ですので、そちらも併せてご確認ください。 criteques: ■阪根正行 書店員→工場員日記2012年・春 ■諸根陽介 (minimaru)n music —ミニマルのn乗・音楽ー(後編) ■杉森大輔 多摩川の日暮れに鳥たちの歌が青く染まるのを聴く ■安東三 ラッパー宣言 第5回 ■山下望 ツイッター時評@arazaru 2012.04.18—04.23 ■西田博至 「一柳慧のいる透視図 ——ニッポンの批評へ」第5回 ■山本浩生 「憑依」としての美術 reviews: 安東三/前田礼一郎/dhmo ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆ それではここで、同人による文章の紹介をどうぞ! ◎阪根正行「書店員→工場日記2012・春」 まずアラザルのページを開くと先頭バッターは阪根正行。もう彼は知る人ぞ知る人。カリスマ書店員だったわけですが今は工場員として働いているのです。題名はずばり「書店員→工場員日記2012・春」。まず阪根本人の正直な、あまりに正直な文章に吃驚します。カリスマ書店員だったころブイブイ云わしていた時の彼の文章は、これぞ本当にミスター・批評家/ミスター・書店員と云うようなそ「評論家」「書店員」という書き方で凄く優秀なかっちりと「型」に嵌った文体でした。 しかし今の文章はあまりに違って、もはや阪根の顔しかみえてこない!阪根の心の声が、移り変わる気持ちが、とってもストレートに書かれているのです。端的に云えば「書店員→工場員」ではなくて、「書店員→阪根正行」と云うようなまでに! これはほんとうに驚きました。で、もっと驚たのは、その阪根が今、切実に「型」を求めているということが、ほんとうに正直に本音で書いてあることです。まさにそれが文章の主題なんです。「型」を切実に求めている「型」に全然ハまってない阪根氏自身のアンヴィバレンツな文章!何たる鮮やかな逆説!(山本浩生) ◎諸根陽介【連載:音と音楽の時間】第2回 『(minimal)n music ―ミニマルのn乗・音楽―』(後篇) 諸根陽介の論考の切れ味は、鮮やかでいつも恰好いいです。問題にストレートに迫り、原理的に思考していく過程は圧巻、それに諸根氏自身のあまりに雄大でセンスの良い妄想力がところどころに出没し、短い文の中で非常に急激にその距離をひろめたり縮めたりするのだから、もう読者はたまらんのです! そして今回はなんと、諸根陽介の作曲譜が、論考の中に載って居るのです。然も三曲も載っている。それがまた、三曲とも大傑作なのです。譜面を観ただけでもとてつもないイメージがわきあがり、そして、それはすぐに、誰にでも演奏可能なのです。 そして、その余りにもミニマルに洗練された楽曲は、我々の「時間を分節化する尺度」を失わせ「肉体的」かつ「精神的」な「飢え」までも引き起こし、はたまた「死」をも近づけてしまうような、非常に恐ろしい楽曲でもあるのです。 あまりに過激で先鋭化した諸根の創作は、音楽=時間をもう少しで、突き破りそうです!(山本浩生) ◎杉森大輔「多摩川の日暮れに鳥たちの歌が青く染まるのを聴く」 さりげなくスマートで、お洒落なのにクールな魅力がこの題名を筆頭に、文章にきっしりと詰まっています。杉森自身の写真も文章中、適度な感覚で挿入されています。文章に於いて彼の求めているイメージやリズムを、とてもさりげなく豊かで滑らかなものにしています。堅牢でシャープなのに硬くなりすぎず、いつも涼しくて気持ちの良い風が伝わってくるような、多摩川の川沿いのイメージが過不足なく五枚の写真の中に凝縮されています。 ISTのミニマルで繊細な、そして緊張のある、「音と音の間に長い無音の時間が挟まれる」事も多い「彼らのピアニッシモで演奏する微弱な音色」。そしてマンフレッド・ヴァルター『2006 1』のフィールドレコーディング。 それはISTの「繊細」「緊張感」「極度に接近している距離感」ではなくて、「普通」にある「風情」の作品。「演奏自体はとても緊張感のあるもの」なのに、フィールドレコーディングであるために、音は「環境」に「発散」する。 それは「いつも耳にするすべての音風景の中に潜む、無限の多様性を捉える。その音は常に同じようであり、しかし常に違う」のです。それは恰も杉森の文章の「緊張感」と「写真」、ひいては理論や哲学的思想と、彼の感受性や文学・詩性のリズムとの、スマートな関係と拡がりをも想起させる批評です。(山本浩生) ◎安東三「ラッパー宣言」第5回 今回の安東三の「ラッパー宣言」は、なんと、ジョン・ケージの『4分33秒』で始まり、『4分33秒』で論を閉じると云う、「通常想定できる言葉の紡ぎ方からどこまでズレて、また意味の通うものとして戻ってくるか」というのを地で行くラップ批評です。これは凄いリリックだ!! 安東の4号目以降の文章は、「明確な身体の見当たらない、文章それ自体が身体を持って存在することを望む」もので、「ラップについて、ヒップホップについて、精確に、全てを、語りたいという欲望」でした。そしてその「気概」は本当に凄まじいもので、その切れ味は、畏れさえ感じさせるものでした。 だが「けれど、進まなくなってしまった」と安東は行き詰ります。そこで、安東氏は「記述を駆動するのは理想や信念ではなく、運動である」と「身をもって」知ります。そこから安東氏は改めて「語り口調」で記述を始めていきます。 安東はヒップホップの最重要概念を「全ての既存のものをフレッシュに切り取り、オリジナルに変えてしまうダンスこそが、ヒップホップの最重要概念である」と定義します。その「ダンス」を、今回の批評で実践しはじめたのです。「フレッシュ」な切り口を獲得した安東氏の論考はまさに鬼に金棒!です。(山本浩生) ◎山下望『ツイッタ―時評@arazaru2012.04.18―04.23』 アラザル7号の論考を落とすといっていた山下望ですが、編集部により急遽ツイッタ―上にて即興レビューをつぶやくことを指令されました。すると突然四日間で約一万五千字にも及ぶツイートを吐きそれを纏めあっという間に約二万字の論考を完成させアラザル衆を驚愕の渦に陥れたのです。 その余りにも変幻自在かつ高速度な文体で、『生活考察』大谷能生『Jazz Abstractions』石井岳龍『生きてるものはいないのか』稲川方人『われらを生かしめる者はどこか』ECD『Don't Worry Be Daddy』佐藤雄一『絶対的にHIP HOPであらねばならない』長谷川町蔵+大和田俊之『文化系のためのヒップホップ入門』エハミック『青いコンビニであいましょう』『激動!アイドル10年史』木下美紗都『海 東京 さよなら』『それからの子供』Hoseオールナイト上映会……等々、様々な話題が出会い頭に併置されシャッフルされていったその結果が今号の論考です。 シカゴ・フットワークばりに足を使って書き乱し/タイムラインを掻き混ぜた白熱の短期集中都市空間時評!!(山本浩生) ◎西田博至「一柳慧のいる透視図 ―ニッポンの批評へ」第5回 西田博至の論考「一柳慧のいる透視図―ニッポンの批評へ」は連載第5回を迎え、満を持して一柳慧青年が舞台に登場。漸く論考は序章から中核に入っていくような感があります。 序章と云ってしまいましたが、非常に素晴らしく魅力的な論考で、ひとつの独立した本格的な「江藤淳」論がアラザル4号で出現したりもしました。真打ちの一柳慧が出て来る前にこれだけ素晴らしい論が出ると、否が応にもどれだけ山場が凄いものになるかと云う期待が膨らみます。 今回は、1949年の日本を中心に、多角的な歴史的視点・文脈を丁寧に検証しながら、当時の一柳青年の「状況」をリアルに現前させてゆきます。今回は、一柳がちょうどこの年に第十八回「音楽コンクール」「作曲」の部「第二部(室内楽)」で第一位を獲得したところから始まります。この年は、「下山事件」「三鷹事件」「第三次吉田内閣発足」「ドッジ来日」、そして第一回「読売アンデパンダン展」が開かれ・・・と、西田は語っていき、そして「ちょうどこの時期」、一柳青年は後の大作曲家と出会う事になる。併し、それは音楽仲間としてではなく・・・後はお楽しみ!! 西田は第三号に於いて一柳慧氏のインタビューを成功させ、本論の「一柳慧のいる透視図―ニッポンの批評へ」の連載にその内容が随時密接に絡んでいます。是非併せて読めば面白さ倍加間違いなし!(山本浩生) ◎山本浩生「憑依」としての美術 1-ジャクソン・ポロック 山本浩生は、その批評行為とともに美術家としても活動しています。本人曰く、どれも同じ「表現行為」であると宣って居ます。彼は「創る」と同時に、兎に角「観る」ことが好きなようです。 今回、初めて本格的な「美術批評」の一大長編を書きました。いきなり62000字、しかも五月六日まで回顧展をやって居たアメリカ現代美術の英雄・「ジャクソン・ポロック」に就いてです。 ポロックは、美術批評の横綱として未だに君臨するクレメント・グリンバーグが見出し、一推ししていた作家であり、名だたる批評家達が挑戦して考察して居ます。そして、ハロルド・ローゼンバーグと云う批評家もポロックの制作行為をみて、それを「アクション・ペインティング」とも命名しました。そして永らく、グリンバーグの言説とローゼンバーグの二大批評がポロックに於ける批評の金字塔であって、その対立構図は、今も変わって居ない難しい批評対象です。しかし山本は無謀にも初めての本格的な「美術批評」の題材に択んでしまった。然も、文章の後半で、生意気にもグリンバーグやローゼンバーグ、果てはマイケル・フリード等の言説に対してふつーに疑問を呈していたりもする。 その「無謀」を、是非一読してみて下さい!恐らく、山本の「挑戦」の意気だけは伝わると思います。(山本浩生) と、いった感じで、このエントリもまたしばらく更新し続ける感じですので、アラザルvol.7及び当ブログもよろしくお願いいたします。 ![]() 煩雑な毎日を過ごしてるとついつい忘れがちですけれども、気付いたらもうアレなんですね。 あの日の前日ですよ。 明日11月3日開催の第13回文学フリマにて、アラザルvol.6を先行発売いたします! 日時:11/3(祝) 11時〜16時 場所:東京流通センター 第二展示場(E・Fホール) ブース:アラザル カ―19 価格は500円となっております。 文学フリマにお越しの際は、ぜひお気軽にお立ち寄りくださいませ。 はっきり言って、今号は力作揃いです! 阪根正行が書店員から工場員への変化に伴う心情の振幅を原稿の上に描いたと思えば、安東三がラップの原理論の下に残ったペンの跡から自身の筆圧を感じ取り、津田健太郎(新人)が無節操にも見える堤幸彦作品から一本の筋を摘出すれば、近藤久志が錯綜する時間のなかから颯爽と一人のタカラジェンヌを救い出す。その横で、山本浩生は紙にペンを走らせながら紙の上にペンを走らせることの業に迫り、杉森大輔はディスプレイ上のバグから出会いを出会うことを可能たらしめる世界に耳を澄ませ、細間理美は服と着るの間に横たわる似合うをじっと見つめる。そして山下望は未だ吟じられたことのない叙事詩を口のなかで呟いている。 はっきり言って、今号は力作揃いです! また、今回は40000字対談が!! 『アラザル』同人であり美術家である山本浩生が、やはり美術家である土屋貴哉とガチ対談。その行き先はモダニズムの回帰ではなく、しかし純化であり…。 「世界を変えられるなんて到底思えないふたりの対話」!! 乞うご期待! というわけで、アラザルvol.6、発売前に各自同人の論考だけ、チチチララ見せせせせせせせせせせでっっっっっっっすすすす!!!!!!!!!!!! !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!各原稿プレビュー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! 書店員→工場員日記(準備篇) 阪根正行 (…)書店を辞めて工場で働くようになった。そこでどうやって書き続けるかを考えると、やはり二束のわらじ生活は結構しんどい。例えば、小説家の磯崎憲一郎さんのように商社で働きながら作家活動を続けている人もいる。文学フリマに参加している大半の人がそうだろうし、よくよく考えたら書店にいても書店をやめても同じ話なのだけど、完全に分離した状態を並行して持続するのはやはり難しい(…) ラッパー宣言 第三~四回 安東三 (…)日常生活における言葉は、発した音の減退とともに消え去っていくような極めて断片的なものである。だがここで仮に昨日交わした会話を思い出してみるとどうだろう。記憶のなかからその断片を拾い上げ、ひと連なりの自律した出来事として想起するとき、僕らはそこにひとつのフィクションを見ていることに気が付くのである。ここでいうフィクションとは、いわゆる事実と無関係の創作物を指すにとどまらず、現実とは異なった時間体系を持って再現される出来事全般のことである(…) 堤幸彦の特異性とその考察 津田健太郎 (…)みなさん堤幸彦という映画監督を知っていますか? 大学を中退後、専門学校にて映像を学び、バラエティー番組のADとして業界入り。秋本康と会社を設立して、ビデオクリップや映画を製作していたところで、ドラマ金田一少年の事件簿でヒットをとばし、テレビの仕事と映画の仕事をコンスタントにこなして今に至る。20世紀少年三部作では60億円という日本映画史上三位の予算規模の作品を作っていますし、アンダーグラウンドではなく非常にメジャーな監督と言えるでしょう。ここではこの作家の特異性について考察してみよう思います(…) 華月由舞はアーニー・パイルの夢を見るか 近藤久志 (…)あの日からちょうど10年が経ち、そして、あの日からはちょうど半年が経過したというその日。新宿ではあの日から半年にまつわるデモがあり、少なからぬ数の逮捕者が出て、それが不当逮捕だとしてインターネット上で騒がれていたその日はまた、我が同人、安東三に第一子が誕生したお目出度き日でもあったのだが、何を隠そう、わたしはその日、呑気なことに日比谷の東京宝塚劇場にいたことを白状しておく。ごめんなさい(…) 制作、を「なぞる」 山本浩生 (…)紙を、むぞうさに、くしゃくしゃに丸め、それを再び開くとあの綺麗だった紙が、しわくちゃになっている。そして、もう、元には戻らない。白紙の上に、一瞬にして境界線が描かれた瞬間である。しかしその境界線は、境界「線」と云うよりもありえないほどの複雑なかたちをしており、かぎりないほどの「自然」の様相を呈している。実に不思議なものだ。手で丸めるという、「人工的」な行為なのに(…) 管理/邂。逅 杉森大輔 (…)あるとき、僕は仕事でプログラムを書いていた。そして一通り区切りがついて、今書いたプログラムの動作を確認すると、画面上に「邂。逅」という文字が浮かび上がった。「邂。逅」? 僕はプログラムの中にそんな言葉を入力していない。しかも、真ん中にある「。」はなんなんだ。まったく想定していなかった言葉に襲われ、僕の視界にチカチカと火花が瞬いた。豆鉄砲をくらった鳩よろしく、思考が一瞬途切れる。もう一度ディスプレイに焦点があうと、改めてこの謎の言葉と向き合い、小さく笑う。そして「なんだこれ」と呟いた。ちょっとむずかしくて、口語では滅多に使わないこの「邂逅」という言葉。そこに足をもつれさせる小石のように転がる句点。脱臼させられた厳めしさのような、ちょっとシュールな光景(…) 服を着ること、身体とスタイル 細間理美 (…)服が似合うことは難しい。人には、服が似合う人と、そうでない人がいる。人には、服に勝ってしまう人と、そうでない人がいる。着ている服自身がどんな価値を持っていようと、それを身につけた人間次第で、服の存在価値、見え方は変わってしまう(…) 0点論、あるいは《学園界》の緊急避難経路 第一回 山下望 「極秘裏に進行中」 !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!プレビューここまで!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! 文フリ当日は特別コンテンツ『アラザレ』も無料配布中! ![]() ようするにまあ、気付けばまたこの季節がやってきているわけです。 というわけで告知いたします。 最新刊、アラザルvol.5を、第12回文学フリマにて先行発売いたします! 日時:6/12(日) 11時〜17時 場所:大田区産業プラザPiO 小展示ホール ブース:アラザル イー08 価格は500円となっております。 文学フリマにお越しの際は、ぜひお気軽にお立ち寄りくださいませ。 ご存知の方からしてみれば、アラザルといえば同人の長文が詰まって重くなってるヤツ、あるいはやたら面積の広いヤツなどと思われているやもしれません。 が、今号はなんと、154頁で厚さ10.5ミリのコンパクトサイズを実現!! 持ち歩きのカバンや、ご家庭のトイレなどにもぴったりの今号を、ぜひ会場で、実際に貴方の手で、確かめてみてください。 きっと「アラザル=分厚くて危険」というこれまでの貴方のネガティヴイメージも大きく変わることでしょう。 ……。 さてさて、そんなアラザルvol.5ですが、中身はどんなものになっているのでしょうか。 とりあえず、ここではチラ見せ程度で恥じらわせていただきます。 !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!各原稿プレビュー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! ●阪根正行:五月の15日間 きみとぼくとビンラディン (…)「もしかしてウチらがラブホですごいペースでやりまくってるあいだに戦争がはじまって、しかも終わっちゃったの? みたいなね。ラブ&ピースじゃなくてセックス&ウォー? みたいなね。なんか俺言ってることよく分かんないね。でも、もしそういうことを思えたらさ、なんというか、歴史とリンクしてるじゃんウチら、みたいなさ。死ぬ前に思い出す可能性の相当高い思い出になるんじゃないの? みたいに思ったんだよね。そう思わない?」(岡田利規『三月の5日間』より)(…) ●高内祐志:『地底人伝説』紹介文 (…)『中学生日記』で二〇〇三年五月十日から四週連続で放送された「地底人伝説」シリーズは、一話目三話目を鈴木卓爾、二話目四話目を唯野未歩子が脚本を担当し、演出は全話を淋代壮樹が担当した。 ●杉森大輔:喪中のワルプルギス (…)それは得体の知れない幽霊たちが一斉に広がり、不安の振幅を共振によって増幅させながら伝播していく、不可視の津波であるだろう。そしてそれはメディアにのって広まった幽霊たちの夜の祭りである。(…) ●西田博至:一柳慧のいる透視図 ――ニッポンの批評へ (連載第4回) (…)中学生の寺山修司が、本州の果てまで巡業へやってきた江利チエミ——江利は寺山よりふたつ年下である——が唄う、アメリカのジャズのカヴァーである《家へおいでよ!》を聴いていたとき、寺山の母は彼を親戚へ預けて、遠く九州のアメリカ軍のベースキャンプへ出稼ぎに行っていた。警官だった寺山の父は修司が五歳のとき、召集されて出征し、大東亜戦争が終結したあとの昭和二〇年九月三日、インドネシアのセレベス島で故郷の土を踏むことなく病没していて、このときは既にない。のちに寺山の詠んだ歌、「すでに亡き父への葉書一枚もち冬田を超えて来し郵便夫」。 ●山本浩生:プラナリアのさかいめ (…)ソメイヨシノが咲きはじめるころ、同時に辛夷や木蓮も咲き、ずっとモノトーンだった樹々の繊細な線の集合体が、ほんのりあかみがかってくる。よく目を凝らしてみ るともう薄く、レモンイエローに少しだけ緑を混ぜた、まだ黄緑とも云えぬ淡いもやっとした色合いも出てきている。冬なのに、春なのであって、死んでいるようにみ えるのにやはり確実に生きていたのだ、と云うことが、非常に微かな色合いを持って、併し勁く靱やかに、そして確実に見えてくるのがこの季節である。 ●山下望:『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん』と『その街のこども』 (…)これからレビューしようとするのは、過去に共通の傷を持った男と女、あるいは少年少女が出会うことによって、その現在の二人のあいだでそれぞれに見える「過去と未来」に何が起きるのか、を対照的な方法で描いた映画、ということになる。(…) ●安東三:ラッパー宣言 第二回 (…)なぜ自分の中にこのような記憶があるのかわからない。そんなに長い間外部と接触を断っていた時期がある筈がないのだが、中学生か高校生の頃、あるいは大学に入る直前の頃、僕にはなぜだか来る日も来る日もテレビだけを見続けていた記憶がある。チャンネルを変えてもつまらなくて、しかしそれでもテレビを消して他のことをする気にもならず、消してはみたものの次の瞬間にはまた点けているといった具合に、延々と通販番組や料理番組まで眺めていた。外は常に曇天で、暑いのか寒いのかわからない。自室にテレビなどないから居間との間を行き来していたはずなのだが、しかし朝起きて居間のある一階まで降りる、テレビを消して二階の自室にあがるといった記憶はなく、一日の始まりから終わりまで、あるいは終わりや始まりといった感覚すら薄れていくなかで、かろうじてテレビの番組だけが朝か夕かを知らせている。(…) !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!プレビューここまで!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! それでは、6/12、皆様とお会いできることを楽しみにしております。 気軽に話しかけるから、気軽に話しかけてね!!
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